NSC大阪に「半年ごとの期」があった時代

春と秋の風景を背景にしたNSC大阪の校門と本の生徒たち

ブラックマヨネーズフットボールアワーの吉本興業公式プロフィールには、どちらも「1994年 NSC大阪校」とあります。ところが、ブラックマヨネーズは13期、フットボールアワーは14期です。年か期のどちらかが間違っているわけではありません。

1994年から1997年までのNSC大阪には、4月入学と10月入学がありました。1年にが2つ進んだため、同じ年の入学者が別の期に分かれています。

13期から20期まで、4年間で8つの期

公開されている期と入学年の対応を見ると、1993年の12期までは1年に1期です。1994年に13期と14期が並び、そこから1997年の19期と20期まで、春と秋に1期ずつ進みました。1998年の21期からは再び1年に1期へ戻っています。

入学年4月入学10月入学
1994年13期
ブラックマヨネーズ次長課長、徳井義実、野性爆弾など
14期
フットボールアワー、コカドケンタロウなど
1995年15期
西田幸治、清水けんじなど
16期
浅越ゴエ、中岡創一など
1996年17期
ヤナギブソン、青空 岡など
18期
ファミリーレストランなど
1997年19期
ティカトウなど
20期
麒麟、馬場園梓、隅田美保など

NSC大阪14期出身で、のちに放送作家・ライブ主催者として活動する榎谷充師さんは、当時を振り返った文章で、13期の募集後に「10月に初の半年公募」があると聞いて14期へ入ったと記しています。少なくとも、この2期制が1994年秋の追加募集から始まったことは、当事者の記憶からもたどれます。

一方で、なぜ秋募集を始め、なぜ4年間で終えたのかは、NSCや吉本興業の公開資料から説明を見つけられませんでした。応募者の増減など、理由らしく見える事情はあっても、ここでは推測しません。

「同じ年」と「同じ期」は、同じではない

1994年組をもう一度見ると、ブラックマヨネーズや次長課長は13期、フットボールアワーは14期です。大きくくくれば同じ1994年入学ですが、NSC内の期では13期がひとつ上になります。

お笑いの話で使われる「同期」には、同じ養成所の同じ期を指す場合もあれば、学校をまたいで同じ年に入った人をまとめる場合もあります。さらに、事務所への所属年や初舞台の時期を基準にする会話もあります。

そのため、「1994年入学では同年組」「NSC大阪では13期と14期」という二つの説明は両立します。ここから芸人本人同士の呼び方や上下関係まで一律に決めることはできませんが、少なくとも期の粒度では半年の差が残ります。

芸歴の年に直すと、二つの期が同じ年へ戻る

ネタダナでは、養成所の在籍中を0年目とし、卒業した年を芸歴1年目として記録しています。この数え方では、同じ年の春と秋に入った二つの期は、同じ年を芸歴の起点にします。

  • 13期・14期:1994年入学 → 1995年が芸歴1年目
  • 15期・16期:1995年入学 → 1996年が芸歴1年目
  • 17期・18期:1996年入学 → 1997年が芸歴1年目
  • 19期・20期:1997年入学 → 1998年が芸歴1年目

同期チェッカーも、学校の違う芸人を横断して比べられるよう、入学年を基準にしています。そのため13期と14期は「同期」と判定されます。ただし、それは「同じ年に入った」という幅での判定です。個人ページには期も残しているので、必要なら半年単位まで確認できます。

1994〜1997年のプロフィールは、年と期をセットで読む

この4年間のNSC大阪出身者は、入学年だけでは春組と秋組を区別できません。逆に、期だけを見て前後の年を機械的に計算すると、13期から20期の間でずれます。

公式プロフィールに「1994年・13期」「1994年・14期」と並んでいても矛盾ではない。番組やラジオで同じ世代として語られていても、期まで見ればひとつ違う。その両方を押さえておくと、この時期の「同期」や「先輩・後輩」の話を、少し解像度高く追えるようになります。


参考資料(2026年8月3日確認):NSC公式「歴代卒業生」、吉本興業公式プロフィール(ブラックマヨネーズフットボールアワーザ・プラン9ファミリーレストラン麒麟)、日刊スポーツ 川島明インタビュー榎谷充師「お笑いときっかけとNSC」。入学月は公式プロフィールの年・期を軸に、本人・関係者の回想と複数の期別資料を照合しました。制度の理由を説明する公式資料は確認できていません。